医師 宮沢あゆみのコラム「重複感染に気をつけよう <梅毒・HIV>」
<症例5>
36歳の独身女性が来院した。
職業はエアロビクスのインストラクターだが、顔色が悪く生気がない。
「どうなさいましたか?」
「体がだるく、体の節々が痛くて、倦怠感が強いのです。食欲もなく、仕事も休み休みやっている状態です。最近は下腹部に発疹がでてきて、何か変な病気にかかったのではないかと・・・」
「風邪をひいた可能性はありませんか?」
「咳や鼻水は出ないのですが、微熱があり、咽喉がヒリヒリ痛みます」
「それでは咽喉を見せてください。ああ、口腔内に潰瘍ができていますね。顎下リンパ節も腫れています。それでは、お腹の発疹も拝見させてください。ウムム・・・。最後に血液検査をしておきましょう」
3日後、彼女は結果を聞きに来院した。
「検査の結果、梅毒とHIVが陽性でした。梅毒はトリポネーマ・パリデュムという病原菌に感染して発症します。HIVはご存知だと思いますが、ヒト免疫不全ウイルスです。HIV感染によって発症するのが後天性免疫不全症候群、つまりAIDSです。どちらも性交渉によって粘膜や皮膚から感染しますので、あなたがこれまでに性的に接触した相手からうつったと考えます。心当たりはありますか?」
「実は・・・半年前に田舎から出てきて、東京での暮らしに想像以上にお金がかかったため、風俗で働いていた時期がありました」
「なるほど。ところで梅毒の症状は4期に分かれていて、それぞれに特徴的な症状が現れます。第1期は鼠径部(股の付け根)のリンパ節が腫れたり、菌が侵入した部位に無痛性のしこりができます。これを硬性下疳(こうせいげかん)と呼びます。第2期になると全身のリンパ節が腫れたり、発熱、倦怠感、関節痛などの症状が出るほか、全身の皮膚に薔薇のような赤い発疹が広がります。これを「バラ疹」と呼びます。あなたの症状は梅毒の第2期の相当するのです。これに対して、HIVは感染してもすぐには症状が現われないため、本人も感染している自覚のない無症候性感染者が多いのです。」
「では、最初の診察で、私の病気が梅毒だとわかっていたのですね?」
「そうです。梅毒はHIVと重複感染することが非常に多いのです。ですから、梅毒を疑ったら、必ずHIV感染の有無も確認しなければなりません。HIV感染を早期に発見して適切な治療を行なうことが、AIDSの発症を抑えるために重要なことだからです」
「それで、HIVも発見してくださったというわけですね。何だか、ありがたいような、ありがたくないような・・・。AIDSが発症したら死ぬのですか?」
「AIDSが発症すると、梅毒だけでなく他の病気にも重複感染しやすくなるので、命に関わることがあります。免疫システムをつかさどるリンパ球が破壊され、からだの免疫力が低下し、健康体ではほとんど害のない細菌やウイルスにも感染しやすくなるからです。これを日和見感染といいます。しかし、最近は治療法が進歩したので、きちんと治療を受ければ死に至ることはありません。HIVに感染していても、発症しなければ普通の生活が可能なのです。梅毒も今の段階で抗菌薬を服用すれば十分に治すことが可能です」
「それを聞いて、安心しました」
こうして彼女は梅毒とHIVの治療を受けることになった。
それから数か月後、外来で会った彼女は元気そうだった。
「先生、発疹もなくなり、咽喉の痛みもすっかり取れました」
「それは良かったですね。ところで、咽喉に潰瘍ができていましたので、あなたの梅毒はオーラルセックスによって口から感染した可能性が高いですよ」
「えっ、口からも性感染症にかかるのですか?」
「性行為をするのに使った場所であれば、どこからでも感染します。口からでも膣からでも、粘膜から同じように感染することを覚えておいてください」
「実は先生の外来を受診する前に、咽喉が痛かったので耳鼻科を受診したのですが、ただの風邪だと言われて、うがい薬をもらって終わってしまったのです。だから、梅毒などとは思いもしませんでした」
「耳鼻科の先生が、咽喉の痛みから梅毒を思い浮かべるのは難しいと思いますよ。性感染症の可能性を念頭においていないと、梅毒は色々な科で見逃されやすい病気なのです」
「ヘェ。今度、咽喉が痛くなったら、まず梅毒を疑うことにしようっと」
「まあ、あきれた!そんなことより、これを教訓に、二度と咽喉が痛くならないように気をつけてくださいね」
そう諭しながら、私は、“咽喉元すぎれば熱さ忘れる“という諺との奇妙な符合に膝を打ったのであった。
性感染症が口から感染することを知らない人は多い。
性感染症の侵入経路は、性交渉で相手と接触するすべての場所であると考えておいた方が無難だ。咽喉も例外ではない。オーラルセックスが膣性交と異なるのは、妊娠する可能性がないという点にすぎないのである。
性感染症によって男性が他に影響を受ける場所は、尿道、ペニス、精巣、膀胱などだ。女性の場合は、外陰部、膣、子宮膣部だけでなく、進行すれば病原菌が子宮や卵管、卵巣にまで広がって不妊症や子宮外妊娠の原因となったり、腹部全体に広がって骨盤腹膜炎をおこすこともある。
梅毒に感染した女性が妊娠すれば、胎盤を通じて胎児に感染する。その結果、死産となったり、重度の後遺症をもった先天梅毒の新生児が産まれてくるリスクがあるのだ。
女性は妊娠、出産という可能性があるのだから、自分の身体は自分で守るという強い意識を持って慎重に行動していただきたい。