あゆみクリニック 女医 宮沢あゆみ 女性外来 婦人科 千代田区 完全予約制

あゆみクリニック(女医 宮沢あゆみ)は東京都千代田区、小川町駅、淡路町駅、新御茶ノ水駅近くの女性外来・婦人科です。

インタビュー記事(e-doctor シリーズ「あの人に聴く」 掲載)

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e-doctor シリーズ「あの人に聴く」―第32回― に掲載された、あゆみクリニックの医師「宮沢あゆみ」のインタビュー記事をご紹介します。

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医師 宮沢あゆみの写真

「医師として、ジャーナリストとして」

あゆみクリニック
院長 宮沢あゆみ先生

「私の根本はジャーナリストです」と語る宮沢先生。
その半生は、ご著書『天職適齢』のなかで、「自ら
の人生を振り返ってみても、蹉跌と懊悩の連続で
ある」と語っておられるように、凄まじいの一言に
尽きます。

 

華やかなテレビの世界を捨て、自分の心の命ずるままに医学の道へと歩を転じられました。TBS報道記者の激務と受験勉強とを両立させ、医学部時代は学費捻出のためアルバイトに奔走し、勤務医時代は保守的な病院の体制と闘い、僻地では人命救助に死力を尽くされました。先生の人生は、どの瞬間をみても、自らに正直で、かつ潔いのが特徴です。

現在は開業医として多忙な業務をこなしつつ、元政治部記者ならではと思われる、本質を見極める鋭い感覚と筆力をもって、医学業界の問題点を世に問い続けておられます。
今回のインタビューでは、ご自身の信条や医療界に対する展望などを中心にお話を伺いました。

宮沢あゆみ先生は、早稲田大学第一文学部を卒業後、TBSへ入社。報道局政治経済部初の女性記者として、首相官邸、野党、国会、各省庁を担当しました。その後、外信部へ移り、国際情勢を担当。バルセロナオリンピック特派員を務めました。この間、報道情報番組のディレクター、プロデューサーを兼務しています。
母親をがんで失ったのを契機に、東海大学医学部に学士編入学し、New York Medical College, Mount Sinai Medical Center, Beth Israel Medical Centerへ留学。三井記念病院、都立墨東病院、小笠原村診療所などを経て「あゆみクリニック」を開設しました。
著書に、自らの転職の経緯を綴った『天職適齢』、訳書に『死んだらどうなるの?ミスター・シリー?』(共に人間と歴史社)があります。

 

●人生に影響を与えた出来事

医師 宮沢あゆみの写真

Q.先生は医師になられる前は、TBSの総理番記者として第一線で活躍されるなど、普通の医師とは異なった経験を積まれていらっしゃいますね。これまでの経験の中で、先生の生き方に影響を与えた出来事などがありましたら、お聞かせ頂けませんか?

A.私は母をがんで亡くしたのですが、死の直前、主治医との会話の中で「知識は力なり」ということを痛感しました。当時の私は、医学知識がないがゆえに、主治医から示された治療方針の是非も判断できず、無力でした。これほど重要なことに対する判断能力をもたない自分が情けなく、悔しかったのです。〔お母様が他界された時の激しい情念が先生を医師の道へと導く経緯は、ご著書をご参考下さい。〕

医師になってから特に印象に残っているのは、小笠原諸島の父島で僻地医療に従事していた時の体験です。急性心筋梗塞を起こしたおばあさんを、自衛隊の飛行艇を要請して都内の病院へ緊急搬送したのです。

飛行艇の機体が上下左右に揺れ、物凄い轟音の中で、触診も聴診も意味をなさない。そんな最中に突然、おばあさんの呼吸が止まり、心室細動を起こしたのです。密閉された空間の中、患者と医師が対峙する極限状況において、自分の医師としての力量や、判断、勇気といった人間としての総合力を試された気がしました。まさに生と死を賭けた真剣勝負でした。

結果として、気管内挿管と除細動に成功し、命のバトンを引き渡すことができた、あの安堵感と喜びは忘れられません。患者さんの人生と深く関わり、自分が存在することの確かな意味を教えてもらったこの貴重な体験は、医療者としての私の原点となっています。

Q.先生は医学部時代には病院長や教授と対立したり、勤務医時代には指導医と闘ったりと、常に不正や不条理に対し正面から体当たりなされています。失礼ながら、先生は女性としてチャーミングでいらっしゃるので、もう少し要領よく世の中を渡ってこられることもできたと思うのですが、そのあたりはどのようにお考えですか?

A.私は「あえてイバラの道を行く」タイプです。自分を評価するポイントは、「自分に誠実に生きているのか?」ということだけです。自分でも要領の悪い生き方だな、下手な生き方だなと思います。でも、私にとっては「自分に対して誠実か不誠実か」だけが問題であって、「うまく振舞うか振舞わないか」ということは大切ではないのです。

男性の歓心を買いながら上手く立ち回ることができれば楽なのでしょうが、そういう小賢しい生き方は好まないのです。この生き方は「わかっているけどやめられない」のです。恐らく、私の人生であれば男性でも女性でも変わりないでしょう。私は潔い生き方が好きなのです。周囲の批判を恐れず、自分に誠実に生きていきたいと思っています。

 

●「人間をまるごと診る」診療とは?

あゆみクリニック

Q.先生はいくつかの病院や僻地の勤務を経て、ご自身の考えを実現するために2003年の7月に開業されました。現在の医療界についてどのように思われますか?

A.まず、今日の縦割医療のあり方が間違っていると思います。医療者側の都合だけで、患者さんの立場を考慮していない医療体制が問題なのです。腹痛ひとつとっても、原因がわからないと色々な診療科を転々とさせられてしまいます。人間を”臓器別に診る””パーツで診る”ということではなく、人間を”まるごと診る””病気ではなく病人を診る”という視点が大切だと思います。

私のクリニックでは、例えば「何となく体がだるい」「イライラする」といった不定愁訴で受診された方の場合、精神的なことが原因となっている場合もあるので、夫やご家族を呼んで話をして、その人の背後にある家庭環境も含めた「トータルな人間」として患者さんを理解するように努めています。患者さんの話を詳しく聞き、一緒に考え、話し合い、診療のプロセスを共に作っていくということを実践しています。

医療とはそもそも、患者さんと医師との共同作業なのです。医師の仕事とは、患者さんの価値観や人生観を十分に聞いて、その人にぴったり合った治療法を選ぶお手伝いをすることだと思っています。
さらに、私自身が文章を書いたり話をしたりすることが好きなので、難しい医学用語を患者さんにわかりやすく説明するということを通じて、地域住民の医学知識の向上に貢献したいとも考えています。目指すは「地域の駆け込みクリニック」です。
また、現在の保健診療のあり方にも問題があると思っています。相談やカウンセリングなどは”人間をまるごと診る”ためには必要不可欠です。しかし、そのようなことは診療報酬にはつながらないのです。つまり、丁寧な診療をすればするほど、経済的には苦しくなっていくということです。

 

医師 宮沢あゆみの写真

Q.先生はホームページで、『あゆみクリニックとは、大病院の3分間診療と異なり、患者さんのお話をじっくり聞いて、納得のいく医療が行える理想郷を実現したい、というかねてからの念願を現実化したものです。』と述べられていらっしゃいます。しかし、先生の理想の診療をすると、正直申し上げて様々な面で厳しいのではないでしょうか?

A.大病院とは異なり、私は患者さんと心の交流をして、心のキャッチボールができる診療をしたいと考えています。よく周囲の方に「人を雇って、クリニックを大きくしてはどうですか?」と言われますが、人を雇うと人件費がかさみ、その分、責任が増して自由もなくなるので、そのような事はしたいとは思いません。 ある意味、私は自由を求めて医者になったので、何者にも縛られたくはないのです。ですからなるべく経費をかけない為にも、今は、医師、看護師、医療事務、掃除婦などをすべて自分でこなしています。「苦労は買ってでもする」という考えです。帰宅は毎日深夜になりますが、ただ自分に誠実に生きていきたい。
診療点数の入力など全て自分でやっていますと、医療システムの様々な問題点に気づきます。それらは書き留めていますので、いずれ世の中に発信して、大きなうねりを起こせたらいいなと考えています。

Q.先生は医学部時代、学費を捻出するために家庭教師を何軒もかけもちするなど、お金に関して大変苦労されたようですが、率直に申し上げて、お金に対して執着などはございませんか?

A.お金云々ということよりも、私にとっては、自分がどういう人間でいたいのか、自分が何をしたいのか、ということが重要なのです。お金は結果としてついてくるものだと思います。

仕事をするということは、経験を積んで自分の人生のステージを上げていくということ、自分の夢や目標を実現し、社会に役立つ人間へと自分自身が成長していくことです。それが、たとえ苦難の道であったとしても、あるべき姿を追い求めて「ひとり我が道を行く」人生を意気に感じます。

 

●理想の医療を実現するために

医師 宮沢あゆみの写真

Q.先生は理想の医療を実現するために、一人何役もこなしているとのことですが、そのような多忙な生活の中で健康管理の為に何かなされていますか?例えばスポーツなど。

A.学生時代は柔道の選手(二段)でしたが、最近は運動不足になりがちなので、スイミングスクールでバタフライを習っています。その豪快さと雄々しさに子供の頃から憧れていまして、ぜひともマスターしたいと思っていましたので。

また、筋力トレーニングにも励んでいます。逞しい筋肉の医者になりたい、目指せ「マッチョな医師」です。不思議なことに筋力トレーニングを始めてから、これまで長い間苦しんでいた肩こりが解消しました。体調管理は大事なことなので、仕事の合間を縫って時間を作るよう努力しています。

 

Q.最後に、これからの医療界に望むこと、そして、これからの先生の活動についてお聞かせ頂けませんか?

A.医師にとって大事なのは、何よりもモチベーションだと思います。世襲で医師になるのは、かなり問題があると思っています。患者さんと心を通わせるためには、色々なことを経験して知っていなければなりません。しかし、日本の医師は自分の狭い世界しか知らない人が多い。ちなみに米国では、医師になる前に社会人を経験したり、国からお金を借りて苦労して医者になったりするので、常識的かつ人間味溢れる人も多い。

政治家も同様ですが、自分の世界しか知らない人が、自分の権益だけを守ることに汲々とするのです。また、日本の国民性として、保守的で、現状に満足してしまい、改革を好まないということが指摘できると思います。内部改革を望まない体質は医療界にもあります。そのため、色々な経験をされた方が医療界に入ってきて欲しいと願っています。

医師 宮沢あゆみの写真

私自身の活動に関して言えば、メディアを通じて情報を発信する、「野に咲くれんげ草」でありたいと思っています。私の根本はジャーナリストなのです。世の中は、不公平、不平等、不条理に満ちています。このような世の中でも、努力する人が報われる、公正で平等な社会を実現するための力になりたいのです。
組織を内側から変えるには、莫大な労力と時間がかかります。それならば、組織の外側から文筆活動などによって一石を投じていく方が効率的だと思うのです。

また医療の分野は、まだまだ日本のジャーナリズムの底が浅いので、自分の医学知識をジャーナリズムの世界に還元することができたらいいなとも考えています。今後とも、医師とジャーナリストという両輪を駆使して、「私しか咲かせられない花を咲かせたい」と思っています。

 

宮沢あゆみ先生は、インタビューの中で、しばしば自分の活動を花になぞらえています。つまり、「野に咲くれんげ草」「私しか咲かせられない花を咲かせたい」などです。「私の人生であれば男性でも女性でも変わりないでしょう」と言い、誰におもねることなく自らの信条に従い、ただ誠実に生きています。その気取りがなく、一見無骨に見える生き様は、何人にも侵しがたい雰囲気を持っています。しかし、インタビュー後にこぼれた笑顔からは、その強い意志の中に収まりきらない柔らかい優しさ、女性らしい温かいものを如実に感じました。
「あゆみクリニック」および先生が発する世の中への問いかけに、今後とも注目していきたいと考えております。

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